BE*5

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なんて下品な女(中編)

 それからしばらくはお互い忙しい日々が続いていた。相変わらずベジータは無愛想ではっきりとした喜怒哀楽を見せることはなかったが、ブルマはそんな彼の態度に一抹の寂しさを感じつつも、表立って何かするということはなかった。一緒に暮らすうちいつかは地球や地球人に対する情も生まれるのではないか、と淡い期待を抱いていたのかもしれない。

 最初に彼のわずかな変化に気がついたのは、ブルマではなくウーロンだった。
「なあブルマ、ベジータどっかいくのか?」
「は?」
 ジェットフライヤーの修理中だったブルマは、作業する手を止めると額の汗を拭ってウーロンを振り返った。
「どこかって、あいつはいつも昼間は重力室か特訓でいないじゃない」
「でもさー、大抵夜は帰ってきてただろ。最近一日中家を開けることが多いから変だなーと思って」
 そういえば──ブルマはふとここ数日の彼の行動を思い出してみた。確かにウーロンの言う通りだ。広大な家のうえに忙しいということもありもともと頻繁に顔を合わすわけではなかったが、ここ数日彼の姿を見る機会は以前にもましてめっきり少なくなっていた。
「きっと特訓で忙しいんじゃないの? それにしてもあんたって結構気がつくタイプなのね」
「……ブルマがニブいだけなんじゃねえか?」
「なっ、なんですって──」「ひぃっ」
「ねえねえ二人とも、ちょっといいかしら?」
 ブルマが手にしたレンチを振り上げた瞬間、奥の部屋からブルマの母親が声をかけたのでウーロンはあやうく難を逃れた。
「ね、このバッグとこっちのバッグ、どっちの方がいいと思う?」
 そう言って両手に掲げて見せたのは、片手で持てるタイプの小さな旅行鞄だった。
「なあに母さん、旅行にでも行くの?」
「ううん、ベジータちゃんがね、荷物をまとめるちょっと大きめなバッグをくれっていうのよ。母さんはお気に入りのピンクのがいいと思ったんだけど、どうも気に入らないらしくって……ね、黄色のチェックと紫のお花柄だったらどっちがいいと思う?」
 ブルマの母はニコニコと微笑みながらおよそベジータには不似合いな愛らしいバッグを見比べた。
「荷物……それじゃあいつ……」
「ほらな!」ウーロンは自分の予想が当たっていたことに気を良くし、勝ち誇ったように言う。「やっぱアイツ出て行くつもりなんだぜ。もしかしたら地球を出る気なのかな」
「そんな、まさか!」
 突然大声を上げたブルマを不思議がりながらもウーロンは続けた。
「だってあいつはもともとサイヤ人、宇宙人なんだろ? オレが宇宙人だったらよ、地球が危機に陥るかもって時にわざわざ残らないと思うぜ?」
「あのねえ、あんたと一緒にしないでよ。あいつ毎日人造人間と闘うために特訓してるじゃないのよ」
「まったくブルマは男心がわかってねえなあ」
「な、何よ?」
「だからさあ」ウーロンはそう言うと人差し指を立てポーズを決めた。「限界だと思ったんだよ。これ以上は特訓しても無理だってよ」
「………………」
 反論の言葉も出ないブルマに、ウーロンはさらに追い打ちをかける。
「ベジータは王子なんだろ。階級社会の中の超エリートってわけだ。そういう奴は挫折に弱いぜ、きっとよ。悟空やフリーザやあげくに未来から来たっていう怪しげな野郎にも出し抜かれてさ……ショックだよなあ。そりゃ逃げたくもなるよ」
 言いながら、ウーロンはウンウンと頷いてみせる。
「でもよう、あいつおっかねえ奴だけど、人造人間達が現れるかもしれないってこの時期には……」彼はそこまで言ってから、ふと自分の言葉に気がついたように付け足した。「はは、そういう意味じゃオレ達もベジータのこと利用しているのかもしんねえな」
 何も知らないウーロンはあくまで無邪気にそう言うのだったが、ブルマには言葉の一つ一つが数百倍の重力よりもなお重い衝撃としてのしかかっていた。
「ま、まさか……、あいつが地球を去るなんてことありっこないわよ……だいいち宇宙船が」
 そう言いかけてブルマはハッとした。悟空がヤードラット星から帰還する時に使った丸形宇宙船の存在を思い出したのだ。あの後宇宙船は回収し、メンテナンスを済ませ自宅の倉庫にしまってあるはずだ──ブルマは倉庫へ向かって駆け出した。
「お、おいブルマっ?」
 驚くウーロンをよそに、ブルマは一目散に倉庫へ向かう。
「ない……!」
 倉庫にはどこを見ても宇宙船の姿はなかった。しばらくしてウーロン達のもとに、見るからに落胆したブルマが戻って来た。
「何だよブルマ、どうかしたのか?」
「倉庫に宇宙船がなかったのよ……やっぱり……ベジータ……」
「ああ、あの悟空の乗って来た宇宙船のことか? それならブ──」
「嘘よそんなの!」
 ブルマは唐突に大声をあげると、再びどこかへと駆け去っていってしまった。
「な、なんだアイツ……? あの宇宙船なら博士が研究するっつうんで研究室に運んだってのによ」
 ウーロンには何が何だかさっぱりわからなかったが、対照的にブルマの母はそんな娘の姿を見送りながらニコニコと笑って言った。
「ふふ、ブルマさんはベジータちゃんが好きなのねえ」
「いいっ?」
 母親の思いがけない一言に、ウーロンは文字通り目玉が飛び出る程驚愕した。
「じょ、冗談だろぉ? だってあいつにはヤムチャが……いや完全に別れてるとしてもよ、よりによってベジータだぜ……」ブルマの去った方向を呆気にとられてぽかんと見つめたあと、彼は恐る恐るブルマの母を振り返った。「あ、あの、何でそんなことがわかるんですか?」
「ほっほっほ、そりゃわかるわよぉ、親ですもの。ウーロンちゃんもモテたかったらもっと乙女心を勉強しなくちゃ駄目よぉ」
「はあ……」
「でも残念ねえ、平和になったらベジータちゃんと一度デートしてみたかったのに。ねっ、それよりウーロンちゃん、黄色と紫どっちがいいかしら?」
「は、はあ……」
 ウーロンは呆然と立ち尽くしながら、この家で一番恐ろしいのはブルマの母親だということを悟った。

 その日一日、ブルマは自室にこもったきりだった。ガラス窓の外はもう夜である。気の向かないまま作業着を着替えシャワーを浴びはしたものの、それ以上はやりかけの仕事も何も手がつかない。いったんはおさまっていたはずの彼に対する感情の変化が、今ではとてつもなく大きなものとなってブルマの胸の内を占拠している。それはもう『違和感』という言葉で片付けられるような代物ではなかった。
 ベジータは今日も見当たらない。荷物が家にある以上はこのまま消えてしまう可能性は少ないだろうとふんでいたが、だからといっていつ帰ってくるかも、その後いつ出て行くのかも彼女にはわからなかった。
「あーんもう! 何なのよ、何でこの天才の私がウジウジしなくちゃいけないわけ?」
 ブルマはそう小さく叫ぶと、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。視線の先の空では星だけが静かにきらめいている。
「あーあ……面倒くさいなあ……」
 口では強がってみたものの、やはり考えてしまうのは彼──けして誰とも馴れ合おうとはしない一人の孤独な宇宙人──のことだ。
(素敵な恋人が欲しくて仕方なかった十代の頃は、こんな風にはならなかったのに。気ままに楽しく過ごしたいんじゃなかったの? ベジータが居なくなることの何がこんなにショックなの?)
 不機嫌になったり苛立ちこそすれ、人を想うことがこれ程寂しいとは、今までの彼女ならまるで理解出来ないことだった。思いがけず瞳に涙が滲み、ぼんやりと眺めていた空が揺らぐ。
 その時、窓枠に区切られた風景の中をひとすじの光が横切った。
「流れ星……違う、ベジータ!」
 それは確かに宙を飛んで帰って来たベジータだった。ブルマはハッとして立ち上がった。荷物を取りに来たのか仮眠を取りに来たのか定かではなかったが、どちらにしろ彼はカプセルコーポレーションに数日ぶりに戻ってきたのだ。ブルマは急いで濡れた目尻を拭い、部屋のドアへと向かったところでピタリと足を止めた。
(……行ってどうすんのよ)
 ブルマはふと躊躇し、一度ドアノブにかけた手を引いた。ベジータが説得に応じるはずがないことを思い出したのだ。あの男が一人の女の言葉に耳を傾けるはずがなかった。彼の心変わりを期待している自分がひどく馬鹿に思える。
 ブルマは閉じたままの扉の前で立ち尽くし、握りしめた両手を見つめた。
(……一体どうしたいの、私は?)
 本当に地球を出て行くつもりなら、彼は黙って消えるだろう。あのベジータが礼や別れの挨拶などするとは考えにくかった。ならば今この時を逃しては、本当に何もはじまらないまま終わってしまうかもしれない。
(私は──)
 ブルマはキッと視線を上げ、もう一度ノブに手をかけた。
 邪険にされることはわかっていた。話すら出来ないかもしれなかった。だが、彼女はもう他には何も考えられなかったのだ。ただベジータに会いたい──と。


 最上階の彼の部屋からは何の物音も聞こえない。ドアは開け放されているが、部屋の中からは星明かり程度の光しか漏れていない。
(もう寝ちゃったのかしら?)
 ブルマは壁に張り付くと、足音を忍ばせてこっそりと部屋を覗こうとした。
「何の用だ」
「へっ?」
 首を伸ばした瞬間に中からベジータが声をかけてきたので、彼女は思わず妙な声を出してしまった。
「あ、ああそっか、あんた達はそういうのわかるんだっけ……用っていうかその……わ、悪いわね、寝てた?」
 焦りを隠しつつ部屋の前に進み出る。彼は何も答えなかったが、窓際に置かれたベッドのふちに腰掛け、出窓に肘を突き外を眺めているところを見ると、どうやらまだ起きていたようだ。
 ブルマは腰に両手をあておもむろに部屋を見回した。身一つで地球にやってきた彼の部屋は元々ほとんど何もないに等しかったが、思った通り、その片隅にはブルマの母親が用意した鞄──ウーロンの進言により武骨な麻製のものに決まった──が、あの日以来久しぶりに目にしたボロボロの戦闘服とともに置かれていた。
「用がないならさっさと出て行け」
 ベジータはなかなか立ち去らないブルマに苛立ちを隠さず言い放つ。それでも彼女は一歩も引かなかった。
「あんたも言うわねえ、一応ここはあたしんちなのよ」
 それどころかズカズカと部屋に踏み入ると、彼の座るベッドに背中を斜めに合わせる格好でドスンと腰を降ろしてしまった。
「お、おい……?」
 ベジータは一瞬戸惑って彼女を振り返ったが、ブルマが引きそうもないことを感じたのか、また夜空に視線を戻した。
「何もない部屋ね……」
 世間話代わりの意味のないつぶやきで時間をかせぎ、ブルマは横目で彼の姿を観察した。一周り逞しくなったはずの身体が、窓から差し込む星の明かりの加減か今の心境のせいなのか、今日はとても小さく見える。ブルマはふと、彼の視線のせいだ、と思った。顔を背けているため実際には何を見ているかなどわからなかったが、黙って眺める夜空のその先には彼の住んでいた宇宙──ずっと遠くにかつて存在したサイヤ人の故郷──があるような気がして、彼女は胸が痛むのを感じた。
(何て寂しい背中なの……)
 その背中や髪からは、帰ってからシャワーを浴びたのだろう、ほのかな湿気に混じって石鹸の香りがする。何となく温かな気配を感じる。
(サイヤ人は代謝が激しいぶん体温が高いのかしら?)
 そう思ったブルマだったがすぐに、かつてない程彼の側にいるからだ、と気がついた。ブルマはごくりと唾を飲み込むと話はじめた。
「ねっ、前から聞きたかったんだけどさあ、なんでアンタは無茶な修行をしてまで強くなろうとするのよ」ベジータは黙ったままだった。「人造人間をやっつけるため? それとも孫くんを倒すため?」
 悟空の名前には少し反応したようだったが、あくまでブルマの問いかけには何も答えようとはしない。
「ふうん、完全無視? ……ま、いいけどさ」
「きさまには……」「えっ?」
 ベジータはしばらく押し黙った後、窓辺を向いたまま静かに語りだした。その声は低く小さく、まるで自分自身に話しかけているようだった。
「きさまなどには一生わからないだろうな。オレは誇り高きサイヤ人のエリート戦士なんだ。そのオレが……そのオレがどうしてもなれなかった超サイヤ人にあいつは……カカロットはなりやがった。オレはそれが許せんのだ」
 カカロットも、出し抜かれたオレ自身もな──ベジータは声には出さずにそう付け足す。
「そんなものわかんないわよ、正直ね」ブルマは足を組み替え、ベジータの背中に身を寄せた。「守る故郷も家族も恋人もいないのに、一人で強くなってどうすんのよ?」
 ブルマは頭の片隅で、戦士の死体の山の上で孤高に吠える彼の姿を思い浮かべていた。その咆哮はとても気高く、胸が締め付けられる程痛々しく、酷く悲しげだった。
「そんなもの、このオレには必要ない」
 彼はそう言って身体を捻り、ブルマから背中を離す。
「そうかしら? 私はあんたの嫌いな孫くんにはあって、ベジータに足りないものが何かわかるわ」
「なっなんだと?」
 ブルマの言葉にベジータはカッとなって振り向いた。ブルマもそれにあわせて向き直る。目と目が合った一瞬の沈黙の後──
「守るべきものよ」
 ブルマは静かに、だが力強くそう言い切った。
「フッ、何を言うかと思えば……」しかし彼女の言葉はベジータの一笑を買うだけだった。「やっぱりお前はサイヤ人のことが何もわかっていないらしいな」
「どういうことよ?」
 あいつは地球を守ろう何て考えて戦っているのではない──ベジータは口には出さなかったが、ブルマには朧げながらその意味するところを感じ取っていた。
 強大な敵を望む男──彼女は時折悟空の中に、どうしても理解出来ない危うい何かを感じることがあった。少年が青年となり、フリーザという恐ろしい敵を倒した後、それはますます強いものになり、容易にベジータの持つ危うさと重なった。だがそれは輪郭は重なりはしても同じものではないことを、似て非なるものだということを、彼女は薄々ながらすでに感づいていた。同じサイヤ人である悟空とベジータの闘争本能は、その本質は似ていても違った何かを持っている──それが何かということはわからなかったが、ブルマにはそう思えた。そしてベジータ自身も、この時はまだ悟空と自分の決定的な違いがわかっていなかったのだ。自分は何のために闘いを求め、追いかける相手はどうして闘い続けるのかを──
 彼は立ち上がり、頭上からブルマをキッと睨みつけると高らかに言った。
「サイヤ人は誇り高き戦闘民族だ! きさまらとは出来が違うんだよ! そしてオレは──」ベジータの唇に歪んだ笑みが戻る。「──その王子だ」
「……ベジータ、アンタって……」なんて寂しい人、そう言いかけてブルマは口をつぐんだ。彼の言う『サイヤ人の誇り』は総じて彼自身の誇り、プライドでもあった。高すぎる山には誰も住む者がなく、固すぎる物質は同時にとても脆いのだということを、ベジータは気づいているのだろうか。気づいていないのか、知っていながらもなお高みを目指すのか。悔しいが、ベジータの言う通り彼女には到底理解しがたいことなのかもしれない。

「これ以上きさまのくだらんお喋りにつき合っている暇はない、お前が出て行かないのならオレが出て行く」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 肝心なことをまだ言ってない!」
 言い捨ててくるりと背を向けるベジータを、ブルマは慌てて止めた。
「何だ、言いたいことがあるならさっさと言いやがれ。オレは忙しいんだ」
「あんた……ここを出るつもり?」
 ブルマは一つ大きく息をつくと、やっとのことでこの一言を口にした。
「……ああ、明日にもな」
 返されたもっと短い一言が、ブルマに重くのしかかる。会話を続けなければ──彼女は思った。そうしなければ彼は永久に自分の前から消え去ってしまう、と。
「……まさかと思うけど、うちに遠慮してるの?」
「ふん、まさか……いい加減にしろ、きさまはそんなことを聞くためにこのオレを引き止めたのか?」
「違う、違う……私は……」
 ブルマは唇を噛み締めると、咄嗟に目の前にあったリモコンのスイッチを押した。ガコンという音にベジータが後を振り返った時には、すでに唯一の出入り口は塞がれていた。
「……何をたくらんでいるのか知らんが」彼は再び向き直り、拳を胸まで掲げにやりと笑った。「オレにとってはこの扉を破壊することなどわけないんだぞ」
「そんなことさせないわ」
「はっ、お前がか?」
 ベジータは小馬鹿にするように鼻をならした。ブルマは決意を込めた瞳のままベッドから立ち上がり、ベジータに歩み寄る。
「はっはっは、何の力も持たない地球人の女が何を言──」
 彼は一瞬、我が身に起こったことを疑った。
 相手がブルマだと油断していたのだろうか、それとも彼女の気迫が奇跡を起こしたのだろうか──彼は抵抗する間もなくブルマに唇を奪われたのだ。我に返り事態に気がついた彼は、咄嗟に腕を振り払って口を拭った。
「きゃっ」
 たたみ掛けるように、崩れ落ちたブルマに向かって声を荒げる。
「きっ、きさま! 何のつもり、だ……」
 そしてぎょっとして動きを止めた。
「うっ……く……」
 彼が目にしたのは、倒れ込んだ姿勢のまま弱々しげに大粒の涙を流すブルマだったのだ。ベジータはまたも信じられない気分に陥った。
(こ、これがオレさまに対してさえも対等に振る舞った、あの高慢チキな女か? そ、そんなに強くはたいたか?)
 次々に起こる不可解で衝撃的な出来事に、さすがのベジータも対処方法が見つからない。額に汗を浮かべただただ呆気にとられていると、とうとう緊張の糸が切れたブルマが大声を上げて泣き出してしまった。
「うわぁーん! ベジータ、地球からいなくなっちゃイヤよお!」
「な、何っ?」
「地球を出てどこに行くっていうのよ! 惑星ベジータはもうないんでしょう? フリーザのいた星に戻るの? そんなのヤだ、下手したらあんたと二度と会えなくなっちゃうじゃないよ!」
「おい待て、きさまはさっきから何を言ってるんだ? いつオレが地球から出て行くと言った!」
「へ?」
 ブルマはぴたっと泣き止み、真っ赤な目でベジータを見上げた。
「は、早とちりするな、広い場所での特訓が必要になっただけだ。オレの当面の目標は人造人間とかいう化物、そしてカカロットだからな。あのムカつく野郎をブチのめすまでは……それまではオレも地球に残るしかあるまい」
「ほ、本当?」
「嘘をついてどうする! クソッ、何なんだお前は……きさまのすることは突然すぎてわけがわからん」
「な、なんだ……何だなーんだ! あ、あははは……はは……」
 ベジータは地球を去りはしない、少なくとも悟空を倒すまでは──とんだ勘違いをして悩んだ自分が馬鹿らしく思え、ブルマは泣き顔から一転笑い声を上げた。想像も出来ない程プライドの高いベジータが挫折して逃げ出すことなど『あり得ない』のだから。
「はあ……。そうよね、よくよく考えてみれば当たり前よね……」
「……何のことだ?」
 ブルマが顔を上げると、そこには腕組みをしたベジータがいた。落ち着きを取り戻したのか、彼の顔から焦りは消え、いつものあのしかめっ面に戻っている。
「なっ、何でもないのよ、気にしないで! あはは……」
「もしかして、このオレさまがこのままスゴスゴと逃げ帰るとでも思ったのか? バカが……やっぱりお前は全くわかっていないようだな、サイヤ人というものを」
「そ、そこまで言うことないじゃない……わかってないのはお互い様でしょ」
「! ふん……」
 ブルマは唇を尖らせながら立ち上がり、ワンピースの裾を払った。
(まったくウーロンの奴、何が男心よ。覚えてらっしゃい)
 ウーロンへの制裁を考えながら、ブルマはこの場をどうおさめようかと思案した。成り行きとはいえ無理矢理唇を奪ってしまったのだ。思った程相手は怒っていない様子だったが、顔をそむけ押し黙る彼に話しかける言葉はなかなか探し出すことが出来ずにいた。
 だがしばしの気まずい沈黙の中先に口を開いたのは、意外にもベジータだった。
「痛むか?」
「え?」言われてから、そういえばさっき振り払われたのだということを思い出す。「あ、ああ、うん、平気よなんともない」
 普段なら、いや以前なら相手に怪我を負わせようがそれこそ殺そうが構わないところだったが、このままブルマを捨て置くのはどうにもきまりが悪かった。ベジータは自分で思っていた以上に地球人達に影響を受けていたのかもしれない。
「チッ……」
 彼は顔を背けたまま、暗闇に吸い込まれて消え入りそうな程小さな小さな声で、「……悪かったな」と言った。
 それをかろうじて聞きとったブルマは、パッと瞳を輝かせ顔を上げた。
「めっずらしー、ベジータが謝るなんて! 生まれてはじめてなんじゃない?」
「こ、こっのバカ女……!」
 振り向いた視線が偶然に──奇跡的に──あらかじめ決定付けられた運命の出来事のように──ブルマのそれと絡み合い、二人は動きを止めた。視界の中にはストップモーションの映画を見るようなお互いの顔だけがあった。
「………………」
「……くそったれが」
 それ以上は強がりの言葉も軽口のひとつも出てこなかった。目を反らそうとしても無駄だった。ブルマの背中を抱きしめるベジータの腕が早かったか、彼の首に廻したブルマの腕が早かったか、二人は閉じた瞼がぶつかる程の勢いで唇をあわせ、そしてそのまま重なり合ってベッドに倒れ込んだのだから。

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